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曲直瀬道三 まなせどうさん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

曲直瀬道三
まなせどうさん

[生]永正4(1507).京都
[没]文禄4(1595).1.4. 京都
安土桃山時代の医者。医学中興の祖。名は正盛,正慶。字は一渓。号は雖知苦斎 (すいちくさい) ,盍静翁。初め僧となり,永正 13 (1516) 年近江天光寺,さらに同 16年相国寺に修学し,また足利学校に入って経学を学んだ。

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デジタル大辞泉の解説

まなせ‐どうさん〔‐ダウサン〕【曲直瀬道三】

[1507~1594]室町後期・安土桃山時代の医者。京都の人。名は正盛。字(あざな)は一渓。足利学校に学び、田代三喜中国医学を学んで、日本医学中興の祖とされる。将軍足利義輝豊臣秀吉らの信任を受け、正親町(おおぎまち)天皇から翠竹院の号を与えられた。著「啓迪(けいてき)集」など。

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百科事典マイペディアの解説

曲直瀬道三【まなせどうさん】

安土桃山時代の医学者。名は正盛,号は一渓。京都の人。僧となり足利学校に学び,田代三喜から李朱医学を伝えられ,1546年京都で開業,足利義輝織田信長はじめ多くの諸将の知遇を得,門人きわめて多く,曲直瀬流,道三流の名を高めた。

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世界大百科事典 第2版の解説

まなせどうさん【曲直瀬道三】

1507‐94(永正4‐文禄3)
安土桃山期の医師。京都柳原に生まれ,幼くして両親を失い仏門に入った。本姓は堀部氏(勝部とも),曲直瀬の姓は蘇東坡の詩にちなみ,医学の流れが時代が下るにつれ曲がりくねって不浄となったのを,往古の直にして清らかな流れに戻そうとする使命感から改姓したといい,道三の名は師の田代三喜導道から採ったとも,山東を往来するとき東海・東山・北陸の三道を通り禅門を訪ねたので,その三道にちなみ一道に偏しない医学を志したためともいわれる。

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大辞林 第三版の解説

まなせどうさん【曲直瀬道三】

1507~1594) 安土桃山時代の医者。京都生まれ。号、翠竹院・盍静翁こうせいおうなど。田代三喜より中国の医学を学び、正親町おおぎまち天皇や足利義輝の寵遇を受ける。京都に医学舎啓迪院けいてきいんを設立。日本医学中興の祖といわれる。著「啓迪集」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

曲直瀬道三
まなせどうさん
(1507―1594)

戦国時代の医師。永正(えいしょう)4年京都に生まれる。名は正盛(まさもり)また正慶(まさよし)とも称し、字(あざな)は一渓(いっけい)、号は雖知苦斎(すいちくさい)、盍静翁(こうせいおう)、寧固(ねいこ)、院号は翠竹院(すいちくいん)のちに亨徳院(こうとくいん)。1528年(享禄1)足利(あしかが)学校に学び、田代三喜(たしろさんき)について李朱(りしゅ)医学を修め、1545年(天文14)京都に帰り、将軍足利義輝(よしてる)、細川晴元、三好長慶(みよしながよし)、松永久秀(ひさひで)らの厚遇を受け、学舎啓迪院(けいてきいん)を創立して門人を養成、1574年(天正2)『啓迪集』8巻を撰述(せんじゅつ)して正親町(おおぎまち)天皇に献上し、翠竹院の院号を賜った。道三の名は全国に知れ渡り、織田信長、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、徳川家康らにも重んじられ、日本医学中興の祖と称されるようになった。文禄(ぶんろく)3年没。享年88。著書には前述の『啓迪集』をはじめ、『雲陣夜話』『薬性能毒』『切紙』『診脈口伝集』『百腹図説』などがある。
 なお、2代曲直瀬道三は甥(おい)の玄朔(げんさく)(1549―1631)が継いで活躍、『医学天正記(いがくてんしょうき)』はその著である。[矢数道明]

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世界大百科事典内の曲直瀬道三の言及

【医学】より

…いずれも,著者の独自の見解がおもに編されている。室町時代に有名な医師として特記すべきものに,田代三喜曲直瀬道三(まなせどうさん),永田徳本らが挙げられる。田代は,足利学校で学んだのち明に渡り,12年間とどまって,新しい医学を修得して帰った。…

【医者】より

…武士を兼ねた金創医は創傷治療を主としていたが,助産や婦人病,さらに小児病などをも治療の範囲としていたから,必然的にこの分野の専門医を生み,実質的な医療の分化をうながした。 戦国期に広まった実地医療を体系づけたのは,田代三喜とその門人曲直瀬道三(まなせどうさん)である。三喜は明に留学して李朱医学を伝え,これをもとに気,血,痰の治療秘訣を明らかにして臨床医学の端緒を開いた。…

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