医王教寺跡(読み)いおうきようじあと

日本歴史地名大系 「医王教寺跡」の解説

医王教寺跡
いおうきようじあと

[現在地名]宇治田原町奥山田

奥山田おくやまだ集落の東、標高四六〇メートルほどの飯尾いのお山の山上にあった奈良時代創建を伝える寺院。伝えによると、白鳳二年(六七三)山階やましな(現京都市山科区)の定恵が初めてこの山に登り、次いで養老元年(七一七)山階寺の後身である奈良興福寺の義淵が朝廷の援助によって薬師如来本尊とする伽藍を建立したという。しかしこの寺は衰退、のちに最澄が鹿の導きによって飯尾山に入り、朽果てた仏像をみて再興を朝廷に願出て復興し、比叡山延暦寺の別院として延暦一五年(七九六)に再建供養を行ったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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