十三間川
じゆうさんげんかわ
元禄年間(一六八八―一七〇四)津守新田の開発に伴って開削された用水運河。開削当初は鼬川下流の七瀬川から南に中在家村(現住之江区)付近まで二千三一二間であったが、宝永元年(一七〇四)大和川の付替えが行われると、大和川まで延長開削された。川名は、当初の川幅が一三間であったことにちなむが、内川・新堀・十三間堀川とも称された(摂津名所図会大成など)。
当川開削は、本田と新田の境界、本田の悪水抜き、新田への用水、また屎尿船などの往来を目的とした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 