十二原遺跡(読み)じゆうにはらいせき

日本歴史地名大系 「十二原遺跡」の解説

十二原遺跡
じゆうにはらいせき

[現在地名]月夜野町上津

赤谷あかや川と利根川の合流点から西方へ約一キロ、赤谷川右岸の段丘上、通称名胡桃平なぐるみだいら東部中後なかご沢・はら沢の間に突出する舌状台地に十二原遺跡・十二原II遺跡があり、原沢を挟んで大原おおはら遺跡がある。十二原II遺跡の調査は昭和五七年(一九八二)に行われ、縄文前期関山式土器出土の住居跡三軒、中期阿玉台式・勝坂式土器出土の住居跡七軒、弥生後期樽式土器出土の住居跡六軒のほかに縄文時代の陥穴一七個、配石土壙二個等が検出された。縄文前期の関山式土器を出土した住居跡は方形を呈し、炉跡は石囲いに炉体土器を伴う。共伴遺物として石皿・磨石がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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