日本歴史地名大系 「十二村」の解説 十二村じゆうにむら 群馬県:甘楽郡妙義町十二村[現在地名]妙義町上高田(かみたかた)高田川左岸に位置し、北は碓氷(うすい)郡人見(ひとみ)村(現松井田町)、南は八木連(やぎつれ)村、東は左京分(さきようぶん)村、西は中里(なかざと)村と接する。近世はおおむね小幡藩領。寛文郷帳では田方一五〇石五斗余・畑方六九石四斗余。明和元年(一七六四)の村明細帳(清水文書)では高三一二石余、田畑三四町四反八畝余。文政前後の領内村々書上帳(松浦文書)によると本新田一八町五畝余・本新畑一七町二反三畝余、年貢は米一一九石余・永一八貫文余、小物成として真綿四把、四季打鉄砲三挺を所持した。中山道坂本(さかもと)宿(現松井田町)の助郷を勤め、天明八年(一七八八)には同三年の浅間焼けなどによる困窮によって増助郷等救済願(山田文書)を出している。 十二村じゆうにむら 京都府:福知山市十二村[現在地名]福知山市字十二由良川の支流牧(まき)川の下流右岸にある。東は牧村、北は立原(たつわら)村・野端(のばな)村、南は姫髪(ひめがみ)山の支陵を負い、西は下小田(しもおだ)村の六十内(むそち)に接する。寺社方覚帳(威光寺文書)には、「里老曰」として「大野邑ヨリ野花村ヲ分ツ、野花ヨリ十二村ヲ分ツ、重新(ぢゆうに)村也、十二村ヨリ立原村ヲ分ツ、野原村ヨリ夷村ヲ分ツ、又大内村ヲ分ツ、古代ノ検地割帳、国絵図ノ節詮議有之、十二村助作ト云者所持致、福知山ヘ上ケル、大野村ハ今ノ牧村也」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by