日本歴史地名大系 「十二貫野台地」の解説 十二貫野台地じゆうにかんのだいち 富山県:黒部市田家新村十二貫野台地黒部市の南方に広がる黒部川の隆起扇状地で、黒部川扇状地と布施(ふせ)川扇状地の間に挟まれた洪積世台地である。この地は標高一〇〇―三二〇メートルで、面積約六五二町の原野であった。下布施組の本野(もとの)・石田野(いしだの)・枕野(まくらの)、上布施組の鏡野(かがみの)・窪野(くぼの)・阿古屋野(あこやの)・吾妻野(あづまの)・柳沢(やなぎさわ)・別所(べつしよ)、大布施組の中山(なかやま)・大谷(おおたに)(現宇奈月町)、栗寺(くりでら)の一二ヵ所を総称して十二貫野とよんだ。当初の十二貫野は付近の二〇ヵ村に及ぶ村々の入会林で、薪炭・肥料・飼料用草木の採集地であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「十二貫野台地」の意味・わかりやすい解説 十二貫野台地じゅうにかんのだいち 富山県北東部,黒部川扇状地の南方に続く洪積台地。黒部川の旧扇状地で,標高約 100~300m,東から西に向って傾斜している。天保 10 (1839) 年加賀藩から新田開発を命じられた椎名道三が黒部峡谷左岸の小支流の尾沼谷から絶壁をうがって長さ 30kmの十二貫野用水を開削し水田化に成功した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by