日本歴史地名大系 「十組屋敷跡」の解説 十組屋敷跡とくみやしきあと 山梨県:塩山市三日市場村十組屋敷跡[現在地名]塩山市三日市場下総国相馬(そうま)郡において九千石を知行する勘定頭伊丹康勝が、寛永一〇年(一六三三)甲府城番を命じられ、三千石を加増されて采地を改め、山梨郡の内に一万二千石を領有し立藩した徳美藩の治所。康勝はまもなく勘定頭を兼ね、また佐渡国の支配と金山の管掌を命じられ、その後、領知のうち三千二〇〇石余を武蔵国豊島(としま)、上総国天羽(あまは)・市原(いちはら)の三郡内に移されている。長男勝長は父康勝が勤務繁多のため代わって甲府城を守衛したが同一二年病により城番を辞し、慶安三年(一六五〇)勘定頭に就任し佐渡国支配を兼帯、承応二年(一六五三)に遺領のうち一万石を継ぎ、二千六二〇石を弟岡部勝重に分与した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by