三日市場村(読み)みつかいちばむら

日本歴史地名大系 「三日市場村」の解説

三日市場村
みつかいちばむら

[現在地名]塩山市三日市場

上井尻かみいじり村の北に位置し、東は千野ちの村、西は南流する笛吹川を隔てて万力まんりき筋のはやぶさ(現牧丘町)。地名は古時の市場に由来するという(甲斐国志)。枝郷に乙川戸おつかわどがあり、本村と枝郷に町屋まちや天王宿てんのうじゆく大手先おおてさき下市場しもいちば仏師原ぶしばら(現武士原)などの小字がある。

地名の由来となった市の成立時期は、恵林えりん寺の創建後の鎌倉末―室町初期と思われ、同寺門前の市として開設されたのであろう。明応八年(一四九九)六月七日の旦那売券(熊野那智大社文書)にみえる「かいの国三日市之ふんこ殿」は当地の住人かとも推定される。当地はのちの秩父ちちぶ往還などが交差する交通の要所で、また御岳みたけへの登り口である蔵王ざおう権現(現牧丘町金桜神社)への入口にもあたり、参詣者などの往来が頻繁であったことから繁栄したと思われる。戦国期は恵林寺領に属し、永禄六年(一五六三)一〇月吉日の恵林寺領穀米并公事諸納物帳、一一月吉日の恵林寺領検地日記によると、市場の軒数は計二六間半、うち公事免が一四間であった。上畠・野地中畠もあって、年貢は合せて二貫六八八文、このうち四〇八文が屋敷付より踏出となっており、公事免のほかつきうき免一間があった。住人が恵林寺に対して負う公事の内容は「独沽四月八日」(灌仏会)の五文、「自端午九月」の籠草三三文など寺の年中行事にかかわるものと、「大小宿直十二夜」の六〇文、入木「冬草」四把八文などの月ごともしくは季節ごとに納入されるべき公事物に大別される。


三日市場村
みつかいちばむら

[現在地名]飯田市三日市場

現飯田市の中央部、伊賀良いがら扇状地の末端に位置。古くは「和名抄」所載の輔衆ふす郷に属したものと推定され、やがて伊賀良庄の内となった。近世は一貫して飯田藩領。村高は正保四年(一六四七)は四三六石余(信濃国絵図高辻)、天保五年(一八三四)には六五五石余(信濃国郷帳)に急増した。村の南部、かわらけぼらは下伊那有数の須恵器窯跡として注目され、村の中央部を古代東山道が通過していたと推定されている(下伊那史)が異説もあり、確かなことは不明。


三日市場村
みつかいちばむら

[現在地名]巣南町重里しげさと

もり村の東に位置し、さい川西岸の平坦地に立地。慶長郷帳に村名がみえ、高一四七石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では旗本津田秀政領(幕末に至る)正保郷帳では田七石余・畑一三九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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