十綱渡(読み)とづなのわたし

日本歴史地名大系 「十綱渡」の解説

十綱渡
とづなのわたし

摺上すりかみ川に架かる十綱橋の下に位置し、江戸時代の上飯坂村と伊達郡湯野ゆの村を結んだ。十綱の名はかつて藤綱を渡していたことに由来するとも、十本の綱を渡し橋を造ったことによるとも伝える(「信達一統志」など)。また摺上川には古来藤綱を用いた釣橋があったが、大鳥おおとり城主佐藤基治が文治五年(一一八九)の奥州合戦の折、防備のため橋を切落とし、以来渡しになったともいう。元禄一六年(一七〇三)の湯野村明細帳(福島市史)によると、渡守が置かれ、給米は三石八斗であった。また寛保三年(一七四三)の上飯坂村明細帳(同書)では渡船の長さ六間・幅四尺五寸、深さ一尺三寸で、破損した場合は上飯坂・湯野両村が交替で立会い、渡しを利用する村々が諸入用を分割して修繕した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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