日本歴史地名大系 「千代久村」の解説 千代久村ちよひさむら 福岡県:浮羽郡吉井町千代久村[現在地名]吉井町富永(とみなが)竹重(たけしげ)村の南、耳納(みのう)山麓に位置する。竹野(たけの)郡にも同名の村があり、区別するため山辺千代久(やまべちよひさ)村とよぶ。村西の山辺往還(日田街道)に一里塚があり、その西の竹野郡冠(かもり)村境に元禄八年(一六九五)の郡界石標が立つ。本高は二五七石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高一五〇石・役高二九〇石。寛政元年(一七八九)の撫斗代五斗(上三郡取調手鑑)。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高二九三石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田二二町七反余・開田一町五反余・畑田三反余・畑七町八反余・居屋敷四反余。旧高旧領取調帳によると高二七一石余。享保五年(一七二〇)と享和二年の山汐被害の結果、「年柄悪敷御座候時は世間並よりも二三等も不立毛に相成り、一統難儀の村柄」とされている(嘉永元年「廻村書留」新有馬文庫)。 千代久村ちよひさむら 福岡県:浮羽郡田主丸町千代久村[現在地名]田主丸町長栖(ながす)今泉(いまいずみ)村(現吉井町)の西に位置し、耕地は筑後川左岸に入り込んだ筑前国上座(じようざ)郡上寺(かみでら)村(現朝倉町)と接する。屋敷地は古(ふる)川左岸にある(上三郡絵図)。本高は五三石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高四〇石・役高二七四石。享保一二年(一七二七)の夏物成は大麦八石八斗余・小麦四石八斗余・菜種二石四斗余(「本地夏物成帳」中村家文書)。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高二七五石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田七反余・開田三町九反余・畑田一一町一反余・畑二町余・居屋敷二反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by