千住製絨所跡(読み)せんじゆせいじゆうしよあと

日本歴史地名大系 「千住製絨所跡」の解説

千住製絨所跡
せんじゆせいじゆうしよあと

[現在地名]荒川区南千住六丁目

内務省による殖産興業政策の一環として千住小塚原こつかつぱらに設けられた毛織物の製造所。明治九年(一八七六)内務卿大久保利通は輸入防遏のため国産の羊毛を原料にした羅紗製造所の設立を建議した。これによって内務省勧業寮により工場の建設準備が進められ、当初幕営大砲製造所があった関口水道せきぐちすいどう(現文京区)を建設地に予定したが、湿地のため適地でなく、隅田川沿いの交通の要地千住の南部、千住大橋南側西方の千住南宿せんじゆみなみしゆく西耕地にしこうちに移した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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