日本歴史地名大系 「千堂村」の解説
千堂村
せんどうむら
元和五年(一六一九)の備後国知行帳では貝原村に含まれているが、分村の時期は不明。旧版「広島県史」所収の正徳(一七一一―一六)頃の記録に村名がみえ、高九一・三九石。広島藩蔵入地であった。「芸藩通志」によると、畝数一二町四反余、戸数二七・人口一二三、牛二七・馬一三で、物産に良質の独活があった。嘉永六年(一八五三)の千堂村の御用年誌録(上川辺公民館蔵)所収の当夏旱続田畑作毛損之趣御註進書付によると、田方七町三反余のうち、四町四反余は灌漑に努力した結果かなりの収穫があるが、九反余は出穂しても
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報