千度小路(読み)せんどこうじ

日本歴史地名大系 「千度小路」の解説

千度小路
せんどこうじ

[現在地名]小田原市ほん町三丁目

宮前みやまえ町の南、代官だいかん町の東、東海道に並行する脇町。南は海に臨む。古くは船方ふなかた村といい、元亀三年(一五七二)五月一六日の北条家朱印状(県史三)松原まつばら大明神社中掃除法として「自干橋船方村迄宿中之者、人足百余出之、可致掃除普請、自当月於自今以後、毎月当城惣曲輪掃除之日可致之」とある。天正一七年(一五八九)と推定される丑年一一月二日の同朱印状(同書)によれば、「舟方村」に割当てられた二〇人が抵抗して掃除に出なかったため、「曲事ニ候、頸ニ縄を付引出、普請可申付候、及異儀者、可遂披露、可処厳科旨」と厳命された。戦国時代の城下の一部に形成された漁村として肴役を勤めたと考えられる。

承応三年(一六五四)八月一五日の早川村滑輪網場借用証文(県史四)に千度小路の町名が記されている。貞享二年(一六八五)には海士方二四軒、魚座役三三軒、宿場町として本人足役七人を負担しており、漁民・魚商・町民に分れ、それぞれの名主のもとに統轄された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の千度小路の言及

【段葛】より

…近世には段葛もしくは置石と呼ばれており,今もこの両側には置石の地名を残す。《鶴岡社務職次第》では七度小路,《梅花無尽蔵》では千度小路,千度壇と称している。近年,赤橋前の公共下水道工事に際して地表下約180cmで敷石が確認されており,12世紀に築かれた参道は地下にうずもれているようである。…

※「千度小路」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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