千手廉斎(読み)せんじゅ れんさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千手廉斎」の解説

千手廉斎 せんじゅ-れんさい

1738*-1819 江戸時代中期-後期儒者
元文2年12月30日生まれ。日向(ひゅうが)(宮崎県)高鍋(たかなべ)藩士。江戸にでて宇井黙斎にまなぶ。安永6年藩校創設を建言。翌年明倫堂が設立されると教授となった。文政2年1月3日死去。83歳。本姓三浦。名は興欽(おきかね)。字(あざな)は一静。通称は八太郎。別号に広斎。著作に「周易講義」「近思録講義」「自求録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む