千木村(読み)せぎむら

日本歴史地名大系 「千木村」の解説

千木村
せぎむら

[現在地名]金沢市千木町

疋田ひきだ村の北、金腐かなくさり川右岸に位置。建武三年(一三三六)二月七日の建部頼春申文案(南禅寺文書、以下断らない限り同文書)に「千木保」とみえる。同申文案によれば同保内の「加賀国一宮苻南社」(現小松市古府町石部神社か)御供田地頭職が同二年八月に収公され国司宇津宮兵部少輔の知行となったため、同地頭建部頼春は足利尊氏方につき本領安堵の法に基づき還付を願出ている。元弘三年(一三三三)六月日の建部頼春着到状案によって、頼春が「苻南社御供田地頭」であったことが確認できる。頼春は建武三年九月六日恩賞を約されており(足利尊氏感状案)、その内容は不明だが、同御供田に関する五通の文書のうちに一括されているので、地頭職も回復したのであろう。


千木村
ちぎむら

[現在地名]阿南町東条ひがしじよう 千木

現阿南町東部に位置する。北は大平大那木おおびらおおなぎ村、東は深見ふかみ村、南は早稲田わせだ村、西は井戸いど村に接しており、面積狭小の村である。

天文一〇年(一五四一)関氏の所領となり、同一三年下条領、天正一五年(一五八七)飯田城代菅沼氏預り所、同一九年京極氏知行所、慶長六年(一六〇一)小笠原氏預り所、元和三年(一六一七)脇坂領、天和元年(一六八一)美濃高須藩松平氏の飛領地となる(長野県町村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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