千葉敦子(読み)チバ アツコ

20世紀日本人名事典 「千葉敦子」の解説

千葉 敦子
チバ アツコ

昭和期のジャーナリスト



生年
昭和15(1940)年11月6日

没年
昭和62(1987)年7月9日

出生地
中国・上海

出身地
東京

学歴〔年〕
学習院大学政経学部〔昭和39年〕卒,ハーバード大学大学院

経歴
東京新聞社に入社し、経済部記者となる。ニーマン・フェローシップを得て、昭和42年ハーバード大学大学院へ留学。43年東京新聞を退社。49年末から海外紙誌の東京特派員を歴任。58年12月渡米。ニューヨークに住んで日本の新聞や雑誌に寄稿した。国際的に活躍する女性ジャーナリストの先駆者の一人で、後に続く女性から注視されていた。しかし、55年1月に乳がんにかかっていることがわかり手術したが、その後小脳骨髄転移、がんの治療を続ける一方で、61年11月から死の直前まで「朝日ジャーナル」に「『死への準備』日記」を連載し続けた。没後ハーバード大学に千葉・ニーマン奨学基金が設けられた。著書に「乳ガンなんかに敗けられない」「ニュー・ウーマン」、訳書に「敵視狭間で」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千葉敦子」の解説

千葉敦子 ちば-あつこ

1940-1987 昭和時代後期のジャーナリスト。
昭和15年11月6日中国上海生まれ。東京新聞記者をへてハーバード大大学院に留学。昭和49年海外紙誌の東京特派員となる。55年に乳がんの手術をうけ,61年から「朝日ジャーナル」に闘病記「死への準備日記」を連載した。昭和62年7月9日死去。46歳。学習院大卒。著作に「乳ガンなんかに敗けられない」。
格言など】よく死ぬことはよく生きることだ(信条)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「千葉敦子」の解説

千葉 敦子 (ちば あつこ)

生年月日:1940年11月6日
昭和時代のジャーナリスト
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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