日本大百科全書(ニッポニカ) 「卅三間堂棟由来」の意味・わかりやすい解説
卅三間堂棟由来
さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。1825年(文政8)7月、大坂御霊(ごりょう)境内初演。時代物。若竹笛躬(ふえみ)、中邑阿契(なかむらあけい)合作。1760年(宝暦10)12月豊竹座(とよたけざ)初演の『祇園女御九重錦(ぎおんにょうごここのえにしき)』全5段のうち、三段目「平太郎住家」「木遣音頭(きやりおんど)」を独立させて改題したもの。通称「柳(やなぎ)」。横曽根(よこそね)平太郎と契り、一子緑丸(みどりまる)をもうけた妻お柳(りゅう)は、実は柳の古木の精であったが、白河(しらかわ)法皇の病気の原因を除くため、その柳を切って三十三間堂の棟木にすることになったので、夫と子に別れを告げて去る。切り倒された柳の大木は運ばれる途中、お柳の思いが残って動かなくなるが、平太郎父子の木遣音頭によって、やすやすと引かれてゆく。詞章はほとんど原曲のままだが、現代では人形浄瑠璃でも歌舞伎(かぶき)でももっぱらこの名題(なだい)で上演され、とくに浄瑠璃では人気曲になっている。
[松井俊諭]