日本歴史地名大系 「半浦村」の解説 半浦村はんのうらむら 石川県:鹿島郡能登島町半浦村[現在地名]能登島町半浦通(とおり)村から南東へ三五町の海岸に位置し、七尾西湾を隔てて和倉(わくら)村(現七尾市)に対する。「鹿島郡誌」によると、地名は閨の鴫島(ねやのしぎしま)で修行中の臥行者のもとへ当地の如坊(によぼう)院から飯を運んだことによると伝え、また地方(じかた)(半島)から飯米を移入した津であったことによるとも伝える。文和二年(一三五三)八月二八日、能登守護吉見氏頼の嫡男詮頼の軍勢は七尾湾を渡船し、島内の「鴫島飯浦」で南朝方の長胤連勢を撃破した(同年九月日「得田素章代斎藤章房軍忠状写」得田文書)。延文二年(一三五七)七月二日、天野遠政に所領の能登島東方内「野崎飯浦両村」が預人を退けたうえで打渡されており(「惟宗経光打渡状」天野文書)、康安二年(一三六二)八月五日の能登守護吉見氏頼披露状(同文書)によると、遠政が東方の地頭職を諏訪神左衛門尉に掠め取られ、その回復に努めている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by