20世紀日本人名事典 「半田鶴三郎」の解説 半田 鶴三郎ハンダ ツルサブロウ 明治〜昭和期の水産養殖家 大分県水産会議員。 生年元治1年4月16日(1864年) 没年昭和12(1937)年5月13日 出生地豊後国三佐村(大分県大分市) 経歴大分県の三佐村で長く漁業組合長を務め、漁業の傍ら海苔の養殖に取り組む。明治33年上京し、海苔の本場である大森海岸で養殖法や加工法を研究。帰郷後、私費を投じて海苔の養殖試験を行い、漁民の反発に遭いながらも成功を収めた。その後も品質の向上を目指して研究をかさねたほか、養殖の奨励や組合員への技術指導にも当たり、一生をかけて三佐海苔の発展と普及に尽くした。また、三佐村議・大分郡議・大分県水産会議員などを歴任。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「半田鶴三郎」の解説 半田鶴三郎 はんだ-つるさぶろう 1864-1937 明治-昭和時代前期の水産養殖家。元治(げんじ)元年4月16日生まれ。大分県三佐(みさ)村(大分市)の漁業組合長となり,漁民の副業としてのノリの養殖にとりくむ。自費で養殖試験をおこなうなど,この地方のノリ生産を軌道にのせた。大分郡水産会長,県水産会議員。昭和12年5月13日死去。74歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by