日本歴史地名大系 「南中町」の解説 南中町みなみなかまち 富山県:氷見市氷見町南中町[現在地名]氷見市本町(ほんまち)南十町の一つ。南(みなみ)町の一部であったが、町の拡大によって元禄年中(一六八八―一七〇四)南上町・南中町・南下町の三町に分れた。本町の一つ。寛延三年(一七五〇)の氷見町絵図(宮永家蔵)によれば、仏生寺(ぶつしようじ)川が十二町(じゆうにちよう)潟の水を加えて湊(みなと)川となり、湊川が当町北西端に至って右に曲がり、その東側の川沿いを西の区切りとし、北は中(なか)ノ橋まで、東は氷見道を挟んで市姫(いちひめ)宮(市姫神社)まで、南は南上町と接する。 南中町みなみなかちよう 兵庫県:神戸市兵庫区大輪田泊・兵庫津南中町[現在地名]兵庫区南仲町(みなみなかまち)湊(みなと)口から南下した山陽道の突当りに位置する岡方の町で、地方一八町の一。山陽道は当町で西に曲がって兵庫津西惣門へと向かう。南仲町とも表記される。南は切戸(きれと)町、北は北中町。慶長七年(一六〇二)の兵庫屋地子帳(兵庫岡方文書)に町名はみえないが、「大中町」三五筆に比定できる。元禄九年(一六九六)の兵庫津絵図(井家蔵)には街道の曲り角に高札場、家並の西に浄土宗知恩院末永福(えいふく)寺が描かれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by