日本歴史地名大系 「南助任保」の解説
南助任保
みなみすけとうほ
鎌倉時代初期に名東郡内に成立していた国衙領。現徳島市中心部一帯に比定される。元久元年(一二〇四)に
当保の四至は、建仁四年二月一七日の官宣旨案(春日大社文書)に「東限津田北海・南限八万堺勢因峯 西限名東庄堺 北限吉野河」とみえる。津田島とともに「当国住人前右兵衛少尉藤原親家・前右近衛将監粟田重政」から泰兼に寄進されており、この両名かあるいはどちらか一方が開発領主であったとみられる(承久四年三月日「大江泰兼愁状」大東家旧蔵文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報