日本歴史地名大系 「南口村」の解説 南口村みなみぐちむら 山形県:東田川郡余目町南口村[現在地名]余目町余目興屋(こうや)村の南にある。村内に館(たて)・南口・南田・東谷地・西田・長畑(ながはた)などの字名があり、館は中世安保氏の余目館(城)跡とみられている(→海辺庄)。高師直が観応二年(一三五一)滅亡すると、足利尊氏の家臣安保肥前忠実は出羽国に落延び余目を横領、至徳三年(一三八六)没したとされ(筆濃余理)、一方白山神社の由緒(白山文書)には、応安五年(一三七二)高師直の臣、安保肥前守忠実の子、太郎吉形が当地に下向、余目館を築いたとある。安保忠実は暦応三年(一三四〇)正月二四日の安保光泰置文(安保文書)で海辺(あまべ)庄余部(あまるべ)内の郷を譲られている光泰の子直実と同一人物とみられる。ただし安保氏の余目館創建年代と築城者については確認できない。余目館は大手は北を向き、四方に馬足の立たない大泓沼を抱えた、東禅寺(とうぜんじ)城(現酒田市)に劣らぬ名城と伝えられている(筆濃余理)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by