日本歴史地名大系 「海辺庄」の解説
海辺庄
あまべのしよう
- 山形県:東田川郡
- 海辺庄
鎌倉初期から南北朝期にみられる庄園。庄域は庄内地方の最上川の南、
建武三年(一三三六)一二月一一日、「海辺余部内宗太村」などの地頭職が、代々の譲状および正安三年(一三〇一)一二月一〇日と正慶二年(一三三三)二月二九日の外題安堵状などにより、安保光泰(法名光阿)に安堵されている(「足利直義下文」安保文書)。暦応三年(一三四〇)一月二四日、光泰は嫡子泰規に海辺余部内余部・惣太両郷を、次男直実に同阿佐丸・阿部(都)・袋三ヵ郷を、三男光経(行泰)に同佐々崎郷を譲ると定めたが(「安保光泰置文」同文書)、行泰が戦死したため、同年八月二二日に船越佐々崎郷を彦五郎に、直実には阿佐丸・袋の二郷を譲り直している(「安保光泰置文」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報