日本歴史地名大系 「南平沢村」の解説 南平沢村みなみひらさわむら 秋田県:男鹿市南平沢村[現在地名]男鹿市船川港南平沢(ふながわみなとみなみひらさわ)男鹿半島南部に位置し、南は日本海、北は本(ほん)山の裾野の丘陵が迫る。海岸沿いに東は船川(ふながわ)村、西は増川(ますがわ)村へと続く。船川寄りの標高約四〇メートルの丘陵から縄文時代中期・後期の住居跡が発掘されている。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「平沢村 鱒川村」合わせて七五石九斗二升とある。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に平沢村一四石と記載される。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)に「南平沢村」として当高三二石八斗四升四合とある。同一五年の「六郡郡邑記」に家数二八軒とある。 南平沢村みなみへいざわむら 山形県:飽海郡八幡町南平沢村[現在地名]八幡町南平沢北平沢村の南にあり、南は北境(きたざかい)村(現酒田市)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高一六四石余。寛永元年庄内高辻帳では高一八二石余。寛文九年(一六六九)の検地帳(旧一条村役場文書)では反別一二町一反余、高一七六石余、名請人は一五、うち屋敷持が八。保有地の最も多いのは与左衛門で一町四反余、次いで一町三反余の与作と徳右衛門、一町二反余の弥右衛門、一町一反余の与三右衛門と仁右衛門、ほかは一町未満。同検地帳にみえる五三の地名のなかには、縫之助屋敷・与治右衛門屋敷・五右衛門屋敷など人名のついたものや、生産高のついた小三百苅・九十苅・六百苅、寺社にちなむ志わ免・稲荷前などとともに主要灌漑用水路茨(ばら)堰もみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by