日本歴史地名大系 「南木山」の解説 南木山なぎさん 群馬県:吾妻郡長野原町南木山西は嬬恋(つまごい)村と長野県小県(ちいさがた)郡真田(さなだ)町の間の鳥居(とりい)峠から、東は長野原町と吾妻町の間の万騎(まんき)峠までの、浅間山北麓の六里(ろくり)ヶ原を中心にした一帯の山林原野をよぶ。浅間山北麓のみに限定する場合や(名跡志)、梛(なぎ)の御林とよぶこともあった(天明信上変異記)。長さ二里半、横一里半の御留山は幕府が直轄した。寛保二年(一七四二)の大笹村明細帳(黒岩文書)によると大前(おおまえ)村(現嬬恋村)の重兵衛、鎌原(かんばら)村(現同上)の治兵衛を山見役とし、盗材防止や野火の警戒をさせている。周辺地域は幕府領で、入会地としての使用が許された。同帳には大笹(おおざさ)村・大前村・鎌原村・芦生田(あしうだ)村・袋倉(ふくろぐら)村・田代(たしろ)村(現嬬恋村)、小宿(こやど)村・狩宿(かりやど)村・与喜屋(よきや)村・古森(ふるもり)村支配とあるが、通常は大笹・大前・鎌原・芦生田・小宿・狩宿を山付六ヵ村とよび、特権を有した。さらに今井(いまい)・赤羽根(あかばね)・西窪(さいくぼ)・中居(なかい)(現嬬恋村)、羽根尾(はねお)の五村は許可を受けての利用を認められるが、山付六ヵ村以外は山札を毎年購入して入山し利用を限定されている。後世の人は皮肉って別名難儀(なんぎ)山とよんでおり、境界や利用をめぐり明治以降まで多くの紛争が起きている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by