大前村
おおまえむら
[現在地名]嬬恋村大前
東は鎌原村・西窪村、北は芦倉峰を挟んで門貝村、南は浅間山北麓の入会原野南木山。村の中心は吾妻川上流左岸にある。建久四年(一一九三)の源頼朝の三原野狩の際厩を置いたので御厩と称したといい(郡村誌)、馬洗井戸川などの地名がある。貞治元年(一三六二)一〇月一八日のしゝ大夫旦那職譲状(下屋文書)に「おうまいのいやとう五郎・とうけんた・とう三郎」と記され、応永二年(一三九五)二月一五日、同二〇年四月一七日、同年七月二五日、同三五年、文安二年(一四四五)の旦那譲状(同文書)に「おおまゑ・大まや・大まや殿・うゑ大まや」などがみえる。応永三五年正月一〇日の薩摩聖心旦那譲状(同文書)には「とはなのひやうゑ五郎の女、こいけの四郎五郎・又五郎」とあり、北部台地にある戸花が記される。
大前村
おおまえむら
北部は山丘、南部は平地で、南東流する渡良瀬川が南を限る。北西は葉鹿村。「足利長尾顕長家来」に当村の者として小畑備中守(永八五貫文)と寺内重郎左衛門(永七〇貫文)の名がみえる。村の北西字堀の内には、戦国末期に小此木備中守正信が築いたという小此木氏館跡があり、その北方には板倉村に至る大前坂という切通しがある。慶安郷帳に村名がみえる。寛永一〇年(一六三三)には下総古河藩領、正保元年(一六四四)分家の土井利直領となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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