日本歴史地名大系 「鎌原村」の解説
鎌原村
かんばらむら
浅間山北麓の広大な村で、吾妻川右岸に位置する。村の中心部は標高約九〇〇メートル、東北は
万治二年(一六五九)の沼田藩領分書上写によると高一九七石余。寛文郷帳では田方三五石九斗余・畑方一六一石余。寛文三年(一六六三)の沼田藩領新検地控によると八八七石余で鎌原縫殿給分。貞享二年(一六八五)沼田藩領再検地控では三九〇石余。元禄郷帳では幕府領。村域は東西一里余、南北四里余で、
天明三年(一七八三)の浅間焼けの直撃を受け、ほぼ全村が押出しにより埋没したといわれる。同年の浅間焼出大変記写(一場文書)には高三三二石余のうち三〇〇石余が泥押し、流失家屋九三と
鎌原村
かんばらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報