南条 歌美(読み)ナンジョウ ウタミ

20世紀日本人名事典 「南条 歌美」の解説

南条 歌美
ナンジョウ ウタミ

昭和期の作詞家



生年
明治33(1900)年

没年
昭和48(1973)年5月

出身地
徳島県三好郡池田町

本名
富永 ヨシエ

別名
筆名=赤染 歌恵

学歴〔年〕
福岡高等女学校(旧制)卒

経歴
父の転職により福岡に移り女学校を卒業。間もなく結婚したが、若くして夫と死別。その傷心文筆による自立に転じ上京。レコード会社へ日参し、昭和10年、デビュー曲「夢のあと」がレコーディング。以来「月の塹壕」「霧の四馬路」などの軍国歌謡、一転して「飛梅の賦」「筑紫名月」などの舞踊小唄や歌謡小唄の作詞を手がける。戦前、戦中にかけただ一人の女流作詞家として自立を果たし、戦後も「博多子守唄」「バッテン節」などレコーディング。42年暮れ、東京から帰郷。約6年間、ふるさと徳島で余生を送り、48年5月、74歳の生涯を閉じた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報