南浦田新田
みなみうらだしんでん
[現在地名]松之山町浦田
渋海川左岸に位置し、村内を樋田川・月池川が北東流し、北境で渋海川に合流する。北は北浦田村、南は中立山新田。天保郷帳に村名がみえ、高一四二石四斗余。江戸時代中―後期にかけて北浦田村の住民が、南側信州境の山地に向けて開田を進めたと思われる。北から樋田・崩田(以上二地区を合せ現在豊田と称する)、坂中・月池・田麦立の集落があるが、地滑りや豪雪・冷害に悩まされ続けてきた。室野村(現松代町)のもと庄屋勘兵衛の「亀斎留書」によれば、天保八年(一八三七)の飢饉の状況を「浦田より田麦立辺迄ニハ空屋六、七十軒も有之、餓死人ハ四百人余も有之由」と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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