日本歴史地名大系 「南館村」の解説 南館村みなみだてむら 山形県:山形市旧南村山郡地区南館村[現在地名]山形市南館・南館一丁目・美畑町(みはたちよう)・高堂(たかどう)・飯沢(いいざわ)・柳原(やなぎはら)・松栄(まつえい)・深町(ふかまち)山形城下の南西に位置し、須(す)川東岸平地に立地。南楯村とも書いた(寛永一六年「舞明石村定納一紙」佐藤文書)。羽州街道に沿う街村。同街道から当村を起点とする小滝(こたき)街道が分岐する。北は城下への入口上町(うわまち)木戸に接していた。村名は南北二本の分岐道の内側にあった中世の館(城)跡に由来する。天正一八年(一五九〇)伊達家の内紛の折、政宗の生母(御東)が兄の最上義光を頼り、同館に保護されたとされる。最上氏改易後は廃城となった。元和八年(一六二二)以降は山形藩領。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録に村名がみえ、高一千四四石余。正保郷帳では田八九五石余・畑一四九石余・寺社領二二六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by