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原市之進 はら いちのしん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

原市之進 はら-いちのしん

1830-1867 幕末の武士。
文政13年1月6日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。会沢正志斎(あいざわ-せいしさい),藤田東湖にまなび,のち昌平黌(しょうへいこう)にはいる。帰藩後は弘道館訓導。一橋慶喜(よしのぶ)につかえ,慶喜が将軍職につくと目付となり,兵庫開港をとなえ,慶応3年8月14日部下の幕臣に暗殺された。38歳。名は忠敬,忠成。字(あざな)は仲寧(ちゅうねい)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

原市之進

没年:慶応3.8.14(1867.9.11)
生年:天保1.1.6(1830.1.30)
幕末の幕臣。水戸藩士原雅言の子。藩校弘道館に籍を置き,また会沢正志斎,藤田東湖に学ぶ。嘉永6(1853)年,昌平黌に入学。安政2(1855)年帰藩,弘道館訓導,次いで史館に勤務の傍ら,菁莪塾を経営し子弟の教育に当たる。同5年8月の戊午の密勅降下を機に尊王攘夷運動に参加。老中安藤信正の襲撃を画策した。文久2(1862)年12月徳川(一橋)慶喜に随従して上洛,元治1(1864)年4月選ばれて一橋家御雇,慶喜の謀臣として長州再征,条約勅許の工作に当たる。慶応2(1866)年7月目付に登用され,慶喜の将軍就任に力を注いだが,翌年8月14日,微禄の幕臣に殺害された。年38歳。その背後関係は不詳である。<著作>『督府紀略』『尚不愧斎遺稿』

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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