原智恵子(読み)ハラ チエコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「原智恵子」の解説

原 智恵子
ハラ チエコ


国籍
スペイン

職業
ピアニスト

生年月日
大正4年 1月1日

出生地
兵庫県 神戸市

学歴
パリ音楽院〔昭和7年〕卒

経歴
7歳の時からスペイン人ピアニストのペトロ・ビラベルデに師事。昭和3年渡仏してパリ音楽院に入学、ラザール・レヴィに師事。7年音楽院のコンクールで日本人として初めて1位となり、注目を集める。卒業後、アルフレッド・コルトーにも学び、11年パリにデビュー。以後ヨーロッパを中心に活動。34年世界的チェロ奏者ガスパール・カサド結婚フィレンツェに住み、スペインに帰化。41年カサドが亡くなったあと夫に代わってカサド国際チェロ・コンクールを主催。日本の女流ピアニストの草分け的存在として知られ、戦前の音楽界で絶大な人気を博した。平成2年体調を崩して帰国した。

所属団体
ガスパール・カサド・コンクール

受賞
勲三等宝冠章〔昭和62年〕 ショパン国際ピアノ・コンクール特別賞(第3回)

没年月日
平成13年 12月9日 (2001年)

家族
夫=カサド ガスパール(チェロ奏者)

伝記
原智恵子の思い出パリの香り、夢みるピアノ―パリ音楽院と原智恵子に学んで原智恵子 伝説のピアニスト 板倉 加奈子 著中井 正子 著,山本 美芽 構成石川 康子 著(発行元 春秋社ショパンベストセラーズ ’05’03’01発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「原智恵子」の解説

原 智恵子
ハラ チエコ

昭和期のピアニスト



国籍
スペイン

生年
大正4(1915)年1月1日

没年
平成13(2001)年12月9日

出生地
兵庫県神戸市

学歴〔年〕
パリ音楽院〔昭和7年〕卒

主な受賞名〔年〕
ショパン国際ピアノ・コンクール特別賞(第3回),勲三等宝冠章〔昭和62年〕

経歴
7歳の時からスペイン人ピアニストのペトロ・ビラベルデに師事。昭和3年渡仏してパリ音楽院に入学、ラザール・レヴィに師事。7年音楽院のコンクールで日本人として初めて1位となり、注目を集める。卒業後、アルフレッド・コルトーにも学び、11年パリにデビュー。以後、ヨーロッパを中心に活動。34年世界的チェロ奏者ガスパール・カサドと結婚しフィレンツェに住み、スペインに帰化。41年カサドが亡くなったあと夫に代わってカサド国際チェロ・コンクールを主催。日本の女流ピアニストの草分け的存在として知られ、戦前の音楽界で絶大な人気を博した。平成2年体調を崩して帰国した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原智恵子」の解説

原智恵子 はら-ちえこ

1915-2001 昭和時代のピアニスト。
大正4年1月1日生まれ。レビ,ピラペルデに師事。昭和7年パリ国立音楽院卒業後ヨーロッパで活動をはじめた。12年ショパン国際ピアノコンクール特別賞。34年チェロ奏者のガスパール=カサドと結婚,スペインに帰化。以後カサドの伴奏者をつとめ,夫の没後カサド国際チェロコンクールを主催。平成13年12月9日死去。86歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「原智恵子」の解説

原 智恵子 (はら ちえこ)

生年月日:1915年1月1日
昭和時代のピアニスト
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android