原田二郎(読み)ハラダ ジロウ

20世紀日本人名事典 「原田二郎」の解説

原田 二郎
ハラダ ジロウ

明治・大正期の実業家 鴻池財閥経営者;原田積善会創設者。



生年
嘉永2年10月10日(1849年)

没年
昭和5(1930)年5月5日

出生地
伊勢松坂(三重県)

別名
号=原田 嘉朝(和歌),原田 均斎(詩)

経歴
明治4年横浜に出て洋学を学び、8年大蔵省に入省し、銀行課に勤務。12年横浜の第七十四国立銀行頭取となるが2年で辞任。33年請われて大阪の鴻池銀行に入行し、40年専務理事、大正4年鴻池家監督となり鴻池家の財政改革に貢献した。一方日本信託興業及び帝国朝日銀行を創設した。大正8年鴻池家から引退、9年私財を投じて(財)原田積善会を設立、広く教育、教化、救療その他の社会事業にも貢献した。また詩、和歌を学び、詩歌集に「原田嘉朝集」、伝記に原田積善会編「原田二郎伝」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「原田二郎」の解説

原田二郎

没年:昭和5.5.5(1930)
生年:嘉永2.10.10(1849.11.24)
明治大正期の大阪の鴻池財閥経営者。伊勢国(三重県)松坂に紀州(和歌山)藩士の原田清一郎の長男として生まれる。維新後に洋学を学び,明治8(1875)年大蔵省に入ったのち,同12年横浜の第七十四国立銀行頭取となったが,2年で辞職した。同33年,鴻池銀行東京支配人芦田順三郎が義弟であった関係もあり,請われて鴻池銀行に入り,同40年同銀行専務理事,大正4(1915)年鴻池家監督に就任するなど,鴻池銀行および鴻池家政の事実上の最高経営者となった。鴻池家の事業を銀行経営中心とし,諸事業からの撤退をすすめるなど,その経営方針は堅実を旨とした。同8年鴻池家から引退。翌年、全財産1020万円を投じて財団法人原田積善会を創立,晩年は慈善事業に専心した。

(宮本又郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原田二郎」の解説

原田二郎 はらだ-じろう

1849-1930 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)2年10月10日生まれ。大蔵省銀行局勤務をへて,明治12年横浜の第七十四国立銀行頭取となる。辞職後,井上馨(かおる)にこわれて大阪鴻池(こうのいけ)家の財政改革にあたる。大正9年私財を投じて財団法人原田積善会を設立し,社会事業に貢献した。昭和5年5月5日死去。82歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「原田二郎」の解説

原田 二郎 (はらだ じろう)

生年月日:1849年10月10日
明治時代;大正時代の実業家
1930年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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