口藤森村
くちふじがもりむら
[現在地名]但東町口藤
虫生村の北東にあり、集落は太田川右岸の谷間、出石・宮津道(丹後道)に沿って発達。古くは北東の中藤森村、南東の奥藤森村と合せ藤森村と称して一村であったが、寛文六年(一六六六)の検地の際に村切を行ってそれぞれ一村となった(資母村誌)。近世の領主の変遷は水石村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図では奥藤森・中藤森と合せて藤森村とみえ、高五五五石余。出石封内明細帳では同じく三ヵ村を合せた藤森村として拝領高四九三石余・改出高四五五石余の計九四八石余。うち当村は高二八一石余、この内訳は屋敷五石余・麻畑一石余・田方二四四石余・畑方二九石余、ほかに古新発高六斗余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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