日本歴史地名大系 「口長谷村」の解説 口長谷村くちながたにむら 兵庫県:佐用郡佐用町口長谷村[現在地名]佐用町口長谷横坂(よこさか)村の北、佐用川左岸に合流する長谷(ながたに)川沿いの谷間に立地。殿町(とのまち)・塩谷(しおたに)・坊(ぼう)・中島(なかしま)の四集落がある。慶長国絵図に長谷村とみえる。江戸期の領主の変遷は当初は佐用(さよ)村に同じ。寛永一七年(一六四〇)山崎藩主となった松平(松井)康映は弟康命に当村などで約三千石を分知、旗本松井領(長谷領)となる。同氏は陣屋を当村に置き、当村と本位田・福沢(ふくさわ)・横坂・口金近(くちかねちか)・奥金近(おくかねちか)・奥長谷(おくながたに)諸村と長尾(ながお)村の一部を支配した(「寛政重修諸家譜」など)。正保郷帳に村名がみえ、田方三八七石余・畠方一二五石余、芝山有、小松はへ有と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報