古カトリック主義(読み)こカトリックしゅぎ(英語表記)Altkatholizismus[ドイツ]

改訂新版 世界大百科事典 「古カトリック主義」の意味・わかりやすい解説

古カトリック主義 (こカトリックしゅぎ)
Altkatholizismus[ドイツ]

第1バチカン公会議(1869-70)の決議,ことに教皇の不可謬性宣言に反対してカトリック教会から分離したキリスト教団体。復古カトリック主義ともいう。中世以来の伝統に批判的なドイツの神学者デリンガーJohann Joseph Ignaz von Döllingerら一部のカトリック者は公会議決議の受容を拒み,教皇にただ名誉上の首位を認めて地方教会の自主性,特殊性を尊重していた古代教会の基礎に立つべきだと主張し,1871年に独立のこの宗教団体を形成した。19世紀末の信徒数は,ドイツ,スイスオランダオーストリアを合わせて16万余。20世紀に入りドイツとスイスでは半減したが,とくにアメリカ合衆国ポーランドで増え,現在は約35万。これに19世紀末スペインに対する反抗運動の中でアグリパイGregorio Aglipayが同様の思想から設立したフィリピン・インデペンデント・チャーチの信徒80万~100万を合わせる学者もいる。ミサの自国語共唱,断食と日曜ミサの義務解除,司祭独身制の廃止など,その信仰実践の近代化は,ようやく1960年代に始まったカトリック教会の現代化とも比較されて,興味深い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「古カトリック主義」の意味・わかりやすい解説

古カトリック主義
こカトリックしゅぎ
Old Catholicism

第1バチカン公会議の教皇不謬性の教義宣言 (1870) に反対し,教皇の法的首位権を認めず,古代教会の七大普遍公会議の教えに基づいて,東西教会分裂以前の一なる教会に復帰することを主張したカトリック教会系の思潮。 18世紀初頭にすでに形成されていたオランダのユトレヒト古カトリック教会と一致しながら,ドイツの教会史家 J.デリンガーの影響のもとに 1873年以降ドイツ,スイス,オーストリア,アメリカ合衆国などに独立教会を立てた。 1931年以来アングリカン・チャーチと一致して,諸教会の再合同に積極的に働きかけている。

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世界大百科事典(旧版)内の古カトリック主義の言及

【キリスト教】より

…その批判は,普遍主義と分立主義,あるいは教皇至上主義と会議主義との対立から起こる従来の政治問題とは異なって,いっそう宗教的なものである。〈古カトリック主義〉運動はウルトラモンタニズムやネオ・トミズム(新トマス主義)のような保守的なものを退けて,8世紀以前の伝統に帰ることを主張したもので,各国語での礼拝や教会合同への参加など,こんにち活用されるに至った提言をもっていた。 フランスの近代主義者ロアジーは大学からの追放や破門に屈せず,プロテスタントの聖書批評学をとり入れて大胆な学説を発表した。…

【バチカン公会議】より

…不可謬性infallibilitasとは,信仰と道徳に関して教導する教皇の宣言は誤りえないとの意味だが,この会議では同時に,信仰・司牧領域における教皇への従順も強調され,これは教皇の世界的権威を強化して,各国司教団や神学者の自由な活動を抑制した反面,教会活動全体の世界的統一には寄与し,近代思想の超克を容易にした。しかし,デリンガーら一部の反対派は教皇への従順を拒み,71年に古カトリック主義を唱えて離教した。(2)第2バチカン公会議(1962‐65) 1959年1月にヨハネス23世がふと心に浮かんだ思いつきを公言した談話に端を発し,61年12月に教会の刷新(現代化)とキリスト者一致の再建を主要目的として召集した公会議。…

※「古カトリック主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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