バチカン公会議(読み)ばちかんこうかいぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「バチカン公会議」の意味・わかりやすい解説

バチカン公会議
ばちかんこうかいぎ

バチカンVaticanで開催された二度のカトリック教会公会議

[梅津尚志]

第一バチカン公会議

第20回公会議。教皇ピウス9世(在位1846~78)により招集され、1869年より翌70年にかけて開かれた。トリエント公会議以来300年ぶりに開かれたこの公会議は、その間に著しい発展を遂げたヨーロッパ近代文化・思想に対して、教会の立場を明確にすることを任務とした。信仰憲章「デイ・フィリウス」においては、極端な合理主義を時代の誤謬(ごびゅう)として排斥し、カトリック信仰の基本的立場を明示した。憲章「パストール・エテルヌス」では、教皇の首位権と不可謬性を宣言した。プロイセン・フランス戦争勃発(ぼっぱつ)により会議は中断され、閉会宣言のないまま、事実上1870年で終了した。

[梅津尚志]

第二バチカン公会議

第21回公会議。教皇ヨハネス23世(在位1958~63)により1962年に開会、パウルス6世(在位1963~78)に引き継がれて、65年に終了。第一バチカン公会議が近代的諸思想との対決の姿勢を強く打ち出したのと対照的に、「時代への適応」(アジョルナメント)を課題としたところに特質がある。「現代世界における教会」「神の啓示」「教会」「典礼」の四憲章をはじめ、「マスコミ」「エキュメニズム」等に関する九教令、「信教の自由」等に関する三宣言を発し、現代世界の、戦争と平和、富と貧困などの問題を教会も自らの問題として背負い、また、他宗教、他宗派、他思想への開かれた教会であることを目ざした。現在のカトリック教会は、この公会議の方向の延長上にある。

[梅津尚志]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バチカン公会議」の意味・わかりやすい解説

バチカン公会議
バチカンこうかいぎ
Vatican Councils

バチカン宮殿で開かれたカトリック教会の最近の2回の世界教会会議。 (1) 第1回 教皇ピウス9世が 1868年に招集,69年開会。 70年ピエモンテ軍のローマ占領で中断。東方正教会とプロテスタントは招聘されたが不参加。ドイツ,フランス,イギリス国内には開催に反対する者が多かった。教皇不謬性をめぐって激論がたたかわされ,当時の世相に刺激された多数派司教が,70年に不謬性をドグマとして可決,これに反対した少数派の一部が,中欧に古カトリック教会を組織した。 (2) 第2回  1959年ヨハネス 23世が立案,62年開会。全世界の司教が参集,東方正教会,プロテスタント諸教会もオブザーバーを派遣した。途中ヨハネスの死後,教皇パウルス6世が遺志を継ぎ,65年に終結した。従来の法制的教会観に対して,聖書中心の神の民,聖霊の教会という面を強調,教皇庁の中央集権化を是正,ギリシア正教との和解などを目指す教会一致の精神を打出し,現代世界に対して積極的姿勢をとり,協調しようと努力した。そのための教会改革案,典礼,制度刷新などを目指した憲章,教令,宣言などを採択した。

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