古城山砦跡(読み)こじようやまとりであと

日本歴史地名大系 「古城山砦跡」の解説

古城山砦跡
こじようやまとりであと

[現在地名]市川大門町 古城山

ひるヶ岳の西に続く古城山の標高七二〇メートルの尾根上先端にある中世の山城跡。付近に烽火台跡もあり、一体となって機能していたと思われる。「甲斐国志」の湯村山ゆむらやま(現甲府市)の項に、「五里余ニシテ八代郡市川蛾ガ岳ノ雲火峯正南ニ対向セリ」とあり、情報伝達のために両城が盆地を挟んで対峙していた様子を伝える。武田氏支配期には跡部蔵人が拠ったが、天正一〇年(一五八二)には徳川氏配下の大須賀氏の守兵が駐屯していたという(同書)。なおほかに源義清の要害跡とする説や、平塩へいえん寺旧跡とする説もある。昭和六三年(一九八八)測量および試掘調査が行われ、城の規模や構造が明らかにされたほか、建物跡らしい柱穴群や土師質土器などの遺物が検出され、戦国期の軍事的施設である可能性がきわめて高くなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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