古志郷
こしごう
鎌倉時代からみえる郷名。神門郡に属する。現在の出雲市古志町・下古志町に相当する。神戸川下流域の西側一帯の地域がその範囲で、神戸川を挟んだ対岸は塩冶郷である。鎌倉時代には湿地帯の広がる地域であったが、中世を通じてしだいに開発が進んだと推測できる。とりわけ物資の流通の盛んになる戦国期には神戸川水運の拠点として重要な位置を占めたと考えられる。貞応元年(一二二二)一一月日の中原某下文(日御碕神社文書)に「下 古志郷内三前神田事」とみえる。
古志郷
こしごう
「和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠くが、コシであろう。「出雲国風土記」によれば、神門郡八郷の一つで、神門郡家が置かれた郷で、地名は伊弉那弥命のとき日淵川(現在の保知石川とされる)を利して池を造った際に古志国の人々が来て堤を造り、やがて住するようになったことに由来するという。天平一一年(七三九)の出雲国大税賑給歴名帳(正倉院文書)に当郷と考えられる項に足幡里・小田里・城村里がみえ、賑給対象となる総数は不明ながら刑部臣・神門臣・吉備部君・建部・日置部・鳥取部・語部ら四三人が記載される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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