日本歴史地名大系 「神門郡」の解説
神門郡
かんどぐん
- 島根県:出雲国
- 神門郡
出雲国北西部にあった郡。近世後期の郡域は北西から北は日本海に面し、北東は
〔古代〕
「出雲国風土記」の神門郡の郡名由来に「神門臣伊加曾然が時に、神門貢りき。(中略)神門臣等、古より今に至るまで、常に此の処に居めり。故、神門と云ふ」とあり、「和名抄」東急本国郡部は「加无止」、元和古活字本は「加無止」とよむ。「日本書紀」推古天皇二五年六月条に、「出雲国言さく、神戸郡に瓜有り」とみえる。風土記には、
「延喜式」神名帳に小座二七座が記され、弥久賀神社(風土記では美久我社、現湖陵町大池の弥久賀神社に比定)、阿禰神社(風土記では阿如社、現湖陵町二部の同名社に比定)、佐志武神社(風土記では佐志牟社、現湖陵町差海の同名社に比定)、多伎芸神社(風土記では多支枳社、現多伎町口田儀の同名社に比定)、多伎神社(風土記では多吉社、現多伎町多岐の同名社に比定)、同社大穴持神社(風土記では多吉社、前記の多伎神社に合祀)、国村神社(風土記では国村社、現多伎町久村の同名神社に比定)、那売佐神社(風土記では那売佐社、現出雲市東神西町牛谷の同名神社に比定)、同社坐和加須西利比売神社(風土記では那売佐社、前記那売佐神社に同じ)、佐伯神社(風土記には該当する神社はみえず、現出雲市神西沖町の同名神社に比定)、智伊神社(風土記では知乃社、現出雲市知井宮町の同名神社に比定)、比布智神社(風土記では比布知社、現出雲市下古志町の同名神社に比定)、同社坐神魂子角魂神社(風土記では又比布知社、前記智伊神社と同所)、朝山神社(風土記では浅山社、現出雲市朝山町上朝山の同名神社に比定)、阿利神社(風土記では阿利社、現出雲市塩冶町の同名神社に比定)、同社坐加利比売神社(風土記では阿利社、前記の阿利神社に同じ)、八野神社(風土記では矢野社、現出雲市矢野町の同名神社に比定)、大山神社(風土記では大山社、現出雲市小山町の同名神社に比定)、久奈為神社(風土記では久奈為社、現出雲市古志町の久奈子神社に比定)、塩冶神社(風土記では夜牟夜社、現出雲市上塩冶町の同名神社に比定)、富能加神社(風土記では保乃加社、現出雲市所原町の同名神社に比定)、塩冶比古神社(風土記では同夜牟夜社、前記塩冶神社に同じ)、塩冶比古麻由弥能神社(風土記では該当する神社はみえず、前記塩冶神社に同じ)、比那神社(風土記では比奈社、現出雲市姫原町の同名神社に比定)、阿須利神社(風土記では阿須理社、現出雲市大津町の同名神社に比定)、神産魂命子午日命神社(風土記には該当する社名はみえず、前記塩冶神社に同じ)、塩冶日子命御子焼大刀天穂日子命神社(風土記には該当する社名はみえず、前記塩冶神社に合祀)がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報