古橋暉児(読み)ふるはし てるのり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古橋暉児」の解説

古橋暉児 ふるはし-てるのり

1813-1892 幕末-明治時代豪農
文化10年3月23日生まれ。三河(愛知県)設楽(したら)郡で農業を本業に,味噌,醤油,酒の醸造業をいとなむ。文久3年平田篤胤(あつたね)の没後門人となり,尊攘(そんじょう)派とまじわる。佐藤清臣をまねき,明治5年子の義真(よしざね)とともに明月清風校を設立。また養蚕,製茶,植林など殖産事業につとめた。明治25年12月24日死去。80歳。通称は源六郎。俳号は笑山。著作に「経済之百年」など。
格言など】治に乱を忘れず。豊に凶を思う。故賢の誡を,年来,心に守れるを(「経済之百年」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古橋暉児」の解説

古橋暉児 (ふるはしてるのり)

生年月日:1813年3月23日
江戸時代末期;明治時代の篤農家
1892年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...

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