古満休伯(読み)こまきゅうはく

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古満休伯」の解説

古満休伯(1) こま-きゅうはく

?-1715 江戸時代前期-中期の蒔絵(まきえ)師。
古満休意(初代)の子。古満家2代。幕府につかえ,元禄(げんろく)2年幸阿弥(こうあみ)長救とともに日光東照宮の蒔絵を制作。休伯作といわれる精細華麗な印籠(いんろう)蒔絵がのこされている。正徳(しょうとく)5年8月10日死去。江戸出身。名は安明,安巨。通称は久蔵。

古満休伯(2) こま-きゅうはく

?-1732 江戸時代中期の蒔絵(まきえ)師。
正徳(しょうとく)5年古満家3代をつぎ,幕府につかえた。享保(きょうほう)17年1月29日死去。名は安章。通称は久蔵。

古満休伯(3) こま-きゅうはく

?-1794 江戸時代中期-後期の蒔絵(まきえ)師。
古満家5代。幕府につかえ,安永7年日光東照宮の蒔絵修復作業に従事した。寛政6年6月26日死去。通称は久蔵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の古満休伯の言及

【古満家】より

…江戸時代の蒔絵師の家系。初代は休意(?‐1663)。1636年(寛永13)徳川家光に召され御抱蒔絵師となり,江戸城内紅葉山の仏殿に蒔絵をして大いに褒められた。彼の作に〈柴垣蔦蒔絵硯箱〉(東京国立博物館)がある。子孫は江戸末期まで12代におよび,代々の作風を古満蒔絵とよぶ。その作風は幸阿弥蒔絵と異なり,幸阿弥家では古満家を道楽蒔絵と軽んじた。古満家は時代の流行にそった変化ある態度で製作し,品格を第一として静的で保守的な作風の幸阿弥家とあいいれなかったといえよう。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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