古満休意(読み)コマキュウイ

デジタル大辞泉 「古満休意」の意味・読み・例文・類語

こま‐きゅうい〔‐キウイ〕【古満休意】

[?~1663]江戸初期の蒔絵師古満家の祖。徳川家光に召されて、江戸城紅葉山の仏殿蒔絵担当。精妙な研ぎ出し蒔絵特色がある。

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精選版 日本国語大辞典 「古満休意」の意味・読み・例文・類語

こま‐きゅうい【古満休意】

  1. 江戸前期の蒔絵師。古満家の祖。徳川家光に抱えられ、江戸城内紅葉山の仏殿に蒔絵を施し賞賛される。ほかに、作品「柴垣蔦蒔絵硯箱」が現存。寛文三年(一六六三)没。

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朝日日本歴史人物事典 「古満休意」の解説

古満休意

生年生没年不詳
江戸前期の蒔絵師で古満派の初代。江戸に住み,寛永13(1636)年将軍徳川家光に召し出されて幕府お抱えの蒔絵師となる。詳しい事績は不明だが,『幸阿弥家伝書』に延宝8(1680)年,上野寛永寺の家綱廟の蒔絵装飾に参画した旨の記載がある。休意作風は,室町時代以来の伝統様式の蒔絵にさらに精細の度を加えたもので,代表作として,蓋裏に「古満休意作 同休伯安章極之」の銘がある「柴垣蔦蒔絵硯箱」(東京国立博物館蔵)をあげることができる。なお,没年については『古満家系図』に寛文3(1663)年と記されており,事績と併せて今後の検討の余地を残している。<参考文献>風俗絵巻図書刊行会編『蒔絵師伝・塗師伝』

(小松大秀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古満休意」の解説

古満休意(1) こま-きゅうい

?-1663/81 江戸時代前期の蒔絵(まきえ)師。
江戸の人。寛永13年幕府お抱えとなり,江戸城内紅葉山の仏殿や上野の徳川家綱廟の蒔絵を制作した。古満家初代。代表作に「柴垣蔦蒔絵硯箱」。寛文3/天和(てんな)元年死去。

古満休意(2) こま-きゅうい

?-1816 江戸時代後期の蒔絵(まきえ)師。
古満家8代。幕府につかえ,文化10年日光東照宮の蒔絵修繕につとめた。文化13年閏(うるう)8月13日死去。通称久蔵,清左衛門

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「古満休意」の意味・わかりやすい解説

古満休意
こまきゅうい

古満派」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の古満休意の言及

【古満家】より

…江戸時代の蒔絵師の家系。初代は休意(?‐1663)。1636年(寛永13)徳川家光に召され御抱蒔絵師となり,江戸城内紅葉山の仏殿に蒔絵をして大いに褒められた。彼の作に〈柴垣蔦蒔絵硯箱〉(東京国立博物館)がある。子孫は江戸末期まで12代におよび,代々の作風を古満蒔絵とよぶ。その作風は幸阿弥蒔絵と異なり,幸阿弥家では古満家を道楽蒔絵と軽んじた。古満家は時代の流行にそった変化ある態度で製作し,品格を第一として静的で保守的な作風の幸阿弥家とあいいれなかったといえよう。…

※「古満休意」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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