古源邵元(読み)こげんしょうげん

精選版 日本国語大辞典 「古源邵元」の意味・読み・例文・類語

こげん‐しょうげん ‥セウゲン【古源邵元】

鎌倉末期・南北朝初期の臨済宗の僧。号如幻道人。越前の人。南山士雲に学び、元に渡って無見先覩・断崖了義らに参じる。帰国後、等持寺・東福寺に住んだ。永仁三~貞治三年(一二九五‐一三六四

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朝日日本歴史人物事典 「古源邵元」の解説

古源邵元

没年:貞治3/正平19.11.11(1364.12.4)
生年:永仁3(1295)
鎌倉末・南北朝時代の臨済宗の僧。越前(福井県)の人。はじめ曹洞宗宏智派に属し,契源と称していたが,東福寺に入って臨済宗に転派,邵元と改名し,第12世双峰宗源の法を嗣いだ。嘉暦1(1326)年,元に渡り諸方を巡錫,特に曹洞宗の盛んであった五台山(山西省)や北京などの北地に遊学した。文才に優れ,在元中に請われて,5点もの曹洞宗の尊宿の塔銘を著している。帰国後は山城(京都府)大聖寺の住持となり,のち東福寺の第25世に昇住した。著書に『霊巌禅寺第三十九代息庵譲公禅師道行之碑』などがある。<参考文献>塚本善隆『日支仏教交渉史研究』

(石井清純)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古源邵元」の解説

古源邵元 こげん-しょうげん

1295-1364 鎌倉-南北朝時代の僧。
永仁(えいにん)3年生まれ。臨済(りんざい)宗。京都東福寺の南山士雲に師事し,双峰宗源の法をつぐ。嘉暦(かりゃく)2年元(げん)(中国)にわたり,帰国後,京都大聖寺などをへて東福寺の住持となった。貞治(じょうじ)3=正平(しょうへい)19年11月11日死去。70歳。越前(えちぜん)(福井県)出身別号に如幻道人など。

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世界大百科事典(旧版)内の古源邵元の言及

【留学】より

…しかし,1299年(正安1)に一山一寧(いつさんいちねい)が元の国使として来朝したころから,日中両国間の往来もようやく活況をとりもどすようになり,14世紀初頭に竜山徳見が留学したのをはじめとして,1326年(嘉暦1)の40人,44年(興国5∥康永3)の数十人,51年(正平6∥観応2)の18人などの集団留学もあって,こののち明初にかけて約70年間ほどは,日本の留学僧の往来がもっとも盛んな時期であった。彼らは各地の名僧をたずねて,熱心に参禅修行をつみ,しかも,46年にわたって留学生活を送った竜山徳見を筆頭に,30余年の約庵徳久,24年の無涯仁浩,23年の椿庭海寿,22年の雪村友梅,21年の復庵宗己,古源邵元,古鏡明千,20年の無我省吾,17年の友山士偲,15年の大拙祖応などのように,きわめて長期間にわたって本格的に大陸禅を学んだものが多かった。その結果,留学僧たちのなかにはその業績を認められて,たとえば,北京に大覚寺を開いた東洲至道,長安の翠微寺に住した雪村友梅,洪州隆興府の兜率寺に住した竜山徳見,秀州嘉興府の円通寺に住した約庵徳久,鄞(ぎん)県の福昌寺に住した椿庭海寿,羅陽の三峰寺に住した大初啓原などのように,大陸の名刹の住持などの要職を勤めたものも少なくない。…

※「古源邵元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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