只木村(読み)たたきむら

日本歴史地名大系 「只木村」の解説

只木村
たたきむら

[現在地名]三ヶ日町只木ただき

釣橋つりばし川の上流域に位置し、西は大福寺だいふくじ村。北東端に富幕とんまく(五六三・二メートル)がそびえ、その南方にある奥山おくやま(現引佐町)との境の風越かざこし(標高二六一メートル)は同村の方広ほうこう寺および半僧坊の参詣によく利用された。現在の行政上の読みは「ただき」。「遠江国風土記伝」はタタキと訓を振り、旧名弥和みわ村とする。中世には多々木のほか直木・但木・たた木とも書く。承元三年(一二〇九)一〇月日の大中臣時定寄進状写(大福寺文書)によると、浜名神戸司の大中臣時定が先祖相伝の領地であった北原きたはら御薗内の荒地大福だいふく寺の敷地として寄進した時に、その東限に「直木山路以西小路」とみえる。文永一二年(一二七五)一月の斎宮堂(初生衣神社の前身か)建立にあたっては、「只木村」の大工高橋市良左衛門がかかわっていた(「棟札銘」初生衣神社蔵)


只木村
ただきむら

[現在地名]藤岡町こう

渡良瀬川左岸、蓮花れんげ川右岸の台地上にあり、東・西・南部とも低湿地。東はたたら(只木沼)を挟み大崎おおさき村、南は高取たかとり新田、西は新井あらい村。唯木村とも記された。慶安郷帳に村名がみえ、田一三一石余・畑一二七石余、下総古河藩領。改革組合村では幕府領と古河藩領の相給、旧高旧領取調帳では古河藩領のみ。天保(一八三〇―四四)頃の古河藩領村明細帳(茨城県潮田文書)によれば、高五七六石余、うち新田三一七石余。反別田七八町六反余・畑一一四町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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