可児孝次郎(読み)カニ コウジロウ

20世紀日本人名事典 「可児孝次郎」の解説

可児 孝次郎
カニ コウジロウ

明治・大正期の実業家 臼杵商談会会頭。



生年
嘉永6年10月4日(1853年)

没年
昭和6(1931)年4月2日

出生地
豊後国臼杵(大分県臼杵市)

経歴
豊後臼杵藩で醸造業を営む家に生まれる。長じて家業に従事し、明治9年頃から近隣の若手商人たちと商業振興グループを結ぶ。18年そのグループが臼杵商談会に発展すると、その初代会頭に就任。以後、臼杵海産会社(魚市場)の設立臼杵港の移転・道路の改修・臼杵銀行の創業などを次々と行い、臼杵の近代化に尽くした。また、鉄道敷設事業にも携わり、日豊本線を臼杵に誘致するべく奔走し、42年日豊鉄道海岸線期成同盟会を結成。その結果、43年に臼杵を経由する海岸線ルートが決まり、大正4年に臼杵駅の完成をみた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「可児孝次郎」の解説

可児孝次郎 かに-こうじろう

1853-1931 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)6年10月4日生まれ。醸造業をいとなむ。明治18年大分県臼杵(うすき)の事業家をあつめた臼杵商談会を結成し,初代会長となる。臼杵海産・臼杵銀行の設立,臼杵港の整備,日豊本線の誘致などにつくした。昭和6年4月2日死去。79歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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