右左府村(読み)うさつぷむら

日本歴史地名大系 「右左府村」の解説

右左府村
うさつぷむら

[現在地名]沙流さる郡日高町字日高・字千栄ちさか・字富岡とみおか・字三岩みついわ

大正八年(一九一九)から昭和一八年(一九四三)までの村。幌去ほろさる村の北東部、右左府・千呂露ちろろ岩内いわない地区などが同村から分村して成立。沙流郡の北東端部に位置し、成立時には南は貫気別ぬきべつ(現平取町)に、北は勇払ゆうふつ占冠しむかつぷ村に、東は十勝河西かさい郡に接していた。貫気別村との境に糠平ぬかびら(一三五〇メートル)二岐ふたまた(一五九〇・八メートル)が、村の東部から河西郡境にかけてペンケヌーシ岳(一七五〇・一メートル)芽室めむろ(一七五三・七メートル)ルベシベ山(一七四〇メートル)チロロ岳(一八七九・九メートル)などがそびえ、地内の北部から西部にかけて沙流川が流れる。右左府は近世に「ウシヤフ」、ウサフ(ハンケウサフ、ヘンケウサフ)などと記録された地名(「東蝦夷地場所大概書」、「戊午日誌」沙留誌など)に由来する。ウシャップともいい、近代には宇社津布・宇佐津富などの表記も用いられた(日高村五拾年史)。「東蝦夷地場所大概書」はイケウレリ(池売、現平取町)から上流の沙流川流域にアイヌは住んでいないと記し、イケウレリより「拾五里川上ウシヤフと言所より西北に当り、西地石狩越る山道あり」、「アツシと言木多し」などとある。またホロサル(幌去)を訪れた松浦武四郎は、同所より上流で沙流川に注ぐイワナイ(岩内川)、「ヲカシユククンベ」(岡春部川)、ハンケウサフ(パンケウシャップ川)、ヘンケウサフ(ペンケウシャップ川)、チロロ(千呂露川)、ハンケヌシ(パンケヌーシ川)、ベンケヌシ(ペンケヌーシ川)などの支流名を案内人から聞いて書留めている(「戊午日誌」沙留誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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