平取村(読み)びらとりむら

日本歴史地名大系 「平取村」の解説

平取村
びらとりむら

[現在地名]沙流さる郡平取町字去場さるば本町ほんちよう・字小平こびら

明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正一二年(一九二三)までの村。沙流郡の南西部に位置する。東は沙流川に臨み、西は丘陵地で、南は荷菜にな村に、北は二風谷にぶたに村に接し、「沙流川筋各村ノ中央」にあたっていた(「状況報文」など)近世史料ビラトリハヨヒラとみえる地などを含む。「日高国地誌提要」に平取村とある。明治二年(一八六九)一一月、仙台藩は当村を含む沙流郡西部を支配地とした。翌三年入地した同藩移民のうち遠藤幸之進など七戸が当村に入植(同五年影田隆郎など二戸、その後さらに二戸が転出)、これが和人による当地開拓の始まりとなった(「平取町史」など)。また農耕指導者として入地した吉田半兵衛が酒・木綿などを商い、当地の商業の草分となった(同書)。前掲地誌提要によると、戸数四八、うち士族三・アイヌ四五、人数二〇四、うち士族三(男)・アイヌ二〇一(男一〇一・女一〇〇)。明治一三年佐瑠太さるふと小学校(現門別町)の平取分校(同二八年平取尋常小学校に昇格)が開設された(平取町史)


平取村
びらとりむら

大正一二年(一九二三)から昭和二九年(一九五四)までの村。大正一二年四月、平取村外八ヶ村戸長役場管下の平取村・荷菜摘になつみ村・紫雲古津しうんこつ村・荷菜にな村・二風谷にぶたに村・荷負におい村・貫気別ぬきべつ村・長知内おさちない村・幌去ほろさる村の九ヵ村が合併し、二級町村制を実施して成立。旧村名を継承し九大字を編成。同年荷負巡査駐在所設置、同一三年公設消防組を設立、同一五年平取の沙流さる川渡船場に平取大橋が架設された。昭和二年平取で表谷木工場が操業を始め、クロム鉱採掘の八田鉱業所が操業を開始した。同四年自作農創設事業が許可され、同年平取・紫雲古津地区に電灯が点灯。同七年平取産業組合創立、荷負郵便局が開局し、日進自動車会社(現道南バス)が平取―右左府うさつぷ(現日高町)間で定期バスの運行を開始。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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