日本大百科全書(ニッポニカ) 「合同製鋼会社」の意味・わかりやすい解説
合同製鋼会社
ごうどうせいこうがいしゃ
Vereinigte Stahlwerke AG
第一次世界大戦後のドイツ鉄鋼業再編過程の頂点にたつ、当時ヨーロッパ最大の鉄鋼コンツェルン。1926年1月、当時の世界不況のなかで、原料を確保し鉄鋼業の発展を図るために、ライン‐エルベ連合、ティッセン・グループ、フェニックス・グループ、ラインシュタールの4グループに属する7社の合同によって成立した。当初の資本金8億ライヒスマルク、従業員25万人。1933年にコンツェルンは22の会社に再編成され、持株会社として第二次世界大戦の終了まで存続した。ナチス体制を支え、第二次世界大戦を準備・遂行するうえで決定的役割を演じた。1938年には国内の538社に資本参加、27の鉱業所(121坑道)、17のコークス製造所、12の溶鉱所(54の溶鉱炉)、35の転炉、81の平炉、11の電気炉、41の圧延工場(168の圧延機)を支配し、従業員19万4000人、生産能力は銑鉄700万トン(当時ドイツの生産額の5分の2)、粗鋼776万トン(同じく3分の1)、石炭2700万トンに達した。第二次世界大戦後、連合国占領軍によるドイツ経済の民主化・非軍事化政策のなかで、過度経済力集中排除の対象に指定されたが、1950年代に、国際的緊張の激化とともに緩和され、結局、鉄鋼部門13、加工部門1、商事部門1、石炭部門2の17社に分割された。
[諸田 實]