改訂新版 世界大百科事典 「合法マルクス主義」の意味・わかりやすい解説
合法マルクス主義 (ごうほうマルクスしゅぎ)
legal'nyi marksizm[ロシア]
legaler Marxismus[ドイツ]
1901年ころ,レーニンがかつての協力者P.B.ストルーベらに対し蔑称として使った言葉。この名称の由来を合法出版物を利用したことに帰する説明もあるが,プレハーノフやレーニンも合法出版を利用した点を考えると,適切ではない。1890年代にロシアでマルクス主義が広まり始めると,ナロードニキ主義との間で激しい論争が起こった。政府当局はナロードニキを恐れるあまり,彼らの力をそごうとしてマルクス主義的文献への検閲を緩和した。1894年,ストルーベの《ロシアの経済発展問題に対する批判的覚書》の出版許可と成功を契機に,マルクス主義的著作が相次いで合法出版され,マルクス主義が流行した。ストルーベは代表的マルクス主義者とみなされ,98年,ロシア社会民主労働党の創立大会の宣言執筆を依頼されたほどである。しかし,ストルーベ,トゥガン・バラノフスキー,ブルガーコフS.N.Bulgakov(1871-1944),ベルジャーエフらは,マルクス主義と距離を保ち,批判的立場をとり,しだいにリベラリズムへ傾斜していった。1900年,正統派とストルーベらとの提携のなかで両派の立場の相違が鮮明になり,ストルーベらが1902年機関紙《解放》を出すと両派は分離,断絶し,ストルーベらには〈合法マルクス主義〉の烙印がさかのぼって押されることになった。
執筆者:高橋 馨
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報